どこまで記録

日々の雑感・ゲームなど色々書いていきます

頑張るか、ゆっくり生きるか?

何とか人生の勝ち組(古い言い方だが)というものに自分を近づけたくて、

いろいろ努力してきた。

資格試験や瞑想・ジムに行って体を鍛える等である。

今もその気持ちは衰えない。

頭ではゆっくり、スローライフというかのんびりでいいと思っていても

自分の生活を経済的に向上させようという考えが出てくる。

その結果疲れた生活を送っている。

 

なぜか?

不安なのだ。

頑張らなくてもいいのかな~?とか同僚に仕事の腕を追い抜かれたらなんかイヤ。

それではイカンと思ってゆっくりするが、頑張ろうとする気持ちもある意味本心。

矛盾してるぜ。

 

まずはどっちか一方の考えに絞ることだな。

お久しぶりです!

ご無沙汰しております。

かなり投稿が空いてしまいました。

ブログを書く気はあったのですが、書くことがなくなりました。

 

思い起こせば、人生について自分の考えをつらつらと書いてきました。

しかし、一貫性がないというかその時の気分で書いているので

たまに読んでみてよくないです。

いっそ、ほかのネタを書いてみるかな、と思った日も

ありましたが、しっくりこない。

 

今まで書いてきたことを要約すると、「昔は精神病だったけど、

だんだん良くなってきた。もっと人生が開けるといいな」というもの。

これから、テーマが広がっていけばいいんですが、一向に広がらず筆が止まります。

 

そんなわけでこれからも気が向けば駄文を書いていきますのでよろしければ

お願いいたします!

この頃楽になった

こんにちは。

お久しぶりです。

 

今年で50歳になった。

中年になる前はなんとなく嫌なイメージがあったが、いざなってみると

なんということもない。

普通のおっさんである。

考えることは、死ぬまでの時間をどんな対象に費やすか?ということであり、

若い時みたいに人に負けたくない、勝ちたいという気持ちはない。

人に負けてばかりでは悲しいが、基本的には人に勝つこともあり、また負けることもあるという感じだ。

そんなことは重要じゃない気がしてきた。

 

じゃ、何が重要か?ということはわからない。

悔いのない人生を!ということは言いたくない。

そんなもの当たり前である。

人は幸せを望むものだが、不幸な人もいるだろう。

自分も若い時は躁うつ病になって、最悪の日もあった。

それが中年になると、経済的には駄目だが、精神的には充実を感じている。

 

結局は、不幸にも耐えて頑張るというか、別に頑張らなくてもいいから不幸の時期をやり過ごすという力・能力が重要かもしれないっす。

わからんけどね。

人生に対する期待

自分の考え方が安定してきた。

以前の考え方は、資格を取って独立して儲からなくてもトントンの収支で暮らしていければいい、と思っていた。

これが以前の人生設計の基本だ。

ところが今年の初めから専業受験生になってみると、ひとり家で黙々と勉強するのはストレスが溜まることに気付いた。

迂闊だった。

さらに専業受験生になり、時間ができても合格レベルになかなか達しないことが分かった。

これではとても独立どころではない。

見込みと現実が違い過ぎる。

そこで、仕事をしながら勉強を続けていくことにした。

去年の状態に戻るのである。

 

振り返ってみると、自分にとって司法書士試験は相当厳しいと言う事だ。

方針を決めてしまえば気持ちは安定してきたが、自分はつくづく自分を客観的に見ていないな、と感じる。

自分を知らないので、失敗しやすいのだ。

出来ているだろう自分と、実際にする自分の能力が違い過ぎる。

いわば、根拠のない自信があるんだろうな~

50歳にして。

根拠のない自信も、欠点ばかりではないと思うが「自分を知る」という意味で改善が必要だろう。

思う事は、若い時は人生の時間が有り余っているので大志というか野望というか大きいことを考えて失敗した(笑)。

これも空想の自分と実際の自分の能力の乖離からくる原因だが、若気の至りともいう。

 

しかし、これからは若い時の考え方を(当然だが)変えていかないと。

 

自分の場合、自分にできることは継続することぐらいで、あとはごく普通の人。

その普通の人が後30年前後、勉強に時間を費やせばそこそこのレベルになれるか?

そういう事なのかもしれない。

自分の人生のテーマを簡単に説明すると。

司法書士行政書士になって独立してもそんなことは大したことじゃない。

自分なりに精進して、自分なりの高みに上ることが重要なのではないか?

分からんが。

 

 

 

俺ってやつはよう…

かなり考えが安定してきた。

ヨガなど始めたい欲望があったが、なぜかその必要はなくなった。

多分、諦めというか割り切ったんだろう。

人間生きていくのに前を向くことが必要で、若い時の後悔やできなかったことをいつまでも引きずっているのは精神的によくない。

50歳なら50歳ならではの考え方をすべきだ。

 

正直、完全に過去の人生を割り切れたのではない。

今までは理想と現実のギャップがあまりにも大きいので、今までの夢・目標なんかいつまでも引きずっていれば人生終わるで、と思うがそれでもまだ甘いところがある。

少しは夢を大事に見ていたいのだ。

状況も独り身なんで「夢を見てもなんぼ」という感じだ(家庭を持ってる人より気楽)。

 

ま、現実と夢の両方を持って生きていくことになるが、若い時よりも現実が占める割合の方が高い。

当たり前ですが。

それを考えた時にやっぱり年を取ったんだな~と思うね。

個人的には若い時に戻りたくはない。

従って、おっさんでもかまへん。

どんな凄い人でも人生の坂が存在すると言う事が分かった。

からしょうもない夢や想像もしない。

思うのは、何というか「正しく」生きていけたらと思う。

正しくなんて何が正しいかわからんし、抽象的だ。

昔は「偉く」&「ゴージャス」に生きていきたかったが。

自分の中では普遍的なものはない。

常に変わってきた。

考え方や体形・性格など。

夢幻のごとくだ。

 

これからは・・・

1974年生まれの自分は、今年50歳だ。

生まれて半世紀という現実にビビるが、よく生きてきたものだ。

躁うつ病を患っていた頃は希死念慮

死にたくはなかったが、寿命尽きるまで生活することは不可能と感じた。

変な感じだが、渡世を渡っていく自信がないのである。

喉元過ぎれば熱さを忘れるで、詳しいことは覚えていないが、多分当時の自分は、世の中とは、人と人との闘いのイメージがあった。

タイタニック」という映画が当時流行ったが、主人公(ディカプリオ)たちは船が沈むのに何を争うんだろう?という気持ちで鑑賞していた。

どうせ、寿命が尽きて、100%死ぬのにどうして争い、その争いで命を落とす人がいるのか?と、今から考えると???という気持ちだったのを覚えている。

 

やっぱり心のエネルギーがなかったのだろう。

逆を言えば、エネルギーを貯めたらかなりのところまで回復するのではないか?と思っている。

 

経済評論家が、55歳から終活を始めよう、と提唱しているネット記事を見た。

それによると、あと5年したら終活だが、そんなものはしない。

むしろ、50歳からやっと世の中に出た気分で、人とぶつかり、人で磨かれて少しでもマシな自分に進化したいと考えている。

まだまだこれから。

これからと言っても特別なことはない。

ただ、勉強と仕事を懸命にやってやろうと思っている。

昨日の記事と少しカブるが、幸福や人の道に近道はないと思う。

偉そうなことを書いているが、多分そうだ。

自己啓発やスピリチュアル等のこれをやれば直ぐに成功・自己変革・自己革命、とうたうものはまやかしだ。

古人いう、「千里の道も一歩から」

 

 

結局は同じ

「自分を変えたい」・「できる男になりたい」・「成功したい」等の理由で

色々悩んでいた。

いや、悩むというか一種、人生から逃げ出したかったのがその根底にある。

というのは、私は自分を変えると苦痛(精神的・肉体的)から逃れられるのではないか?という希望があった。

働きたくないからや、自分時間が欲しいのでFIRE等がしたい、それは見た感じかなり理がかなっていると思う。

しかし、FIREや金持ちになるとそれだけで幸せなのか?

これは人それぞれ答えは異なるが、自分は疑問符を付けざるを得ない。

これはあくまで個人的な意見だが、会社辞めたいのは分かるが、いざ辞めるとどこかに所属したいという気持ちになる。

私個人はヘタレなんで「金融資産」がいくらあっても、何かのイレギュラーで資産が無くなるかもしれない、という不安も湧いてくる。

つまり、「自分を変えたい」、自分を変えて幸せ・充実した人生を送りたい・彼女ができる・結婚したい等の願望や希望はないものねだりなのではないのか?

無論、極端なブラック企業で働いている人は退職すべきだが、世間一般の自己啓発レベルでYouTube・ブログなどを読んでいる人(まさに私だが)は、自分にないもの(時間・仕事・彼女・金・社会的地位など)を欲しがってるだけで、それらすべてかなってしまっても、案外幸せ状態というか、幸福感は感じないのではないか?

分からんけどね。

ここからは私の想像だが、結局どの道を行くにもいい事や悪いことがあって、いい事に気付かず悪い事だけにフォーカスして生きていくのだろうと思う。

ここ数日スローライフやダウンシフトとか考えてきたけど、どの道スローライフにも悪い所というか、自分に合わないところも出てくる。

それも総じて「スローライフ」というのだろう。

要するに、ないものねだりや愚痴・不満も人生のうち。

自己の能力に比して、待遇に不満を持ってる人は大半。

それが生きると言う事なのだ、と思う。

 

と悟ったことを言ってるが、具体的にどうするか?を決定したわけではなく、

上記の通り、自分もどうのこうの言いながら、自己の人生を歩いていくしかない。