どこまで記録

日々の雑感・ゲームなど色々書いていきます

いい年して自分探し

まだ迷走中。

自分の生き方を変えたいが、どう変えるかがまだはっきりしない。

基本は仕事を増やしたので、その分勉強時間を減らすつもりだ。

それ以上何を変える?

大体の外枠はできている(外枠というのは大げさだ)が、何か足りないという気がする。

書いていて気付いてが、生き方を変えたいという事ではなくて、自分を変えたいという願望が根底にあるらしい。

やはり、経済的に負けているという気持ちが強いのだろう。

これでは他者と比べないという極意はまだまだ出来ていない。

他者と比べる、経済的に豊かになりたい、等そういう気持ちをひっくるめて「自分を変えたい」に表現されるのだ。

若い時の願望とあまり変わっていない、何か「大きな自分」に自分をこしらえたい。

カッコつければ自己変革というのだろうか?

と言う事は、自分嫌いという心理になる。

嫌いだから何とかして、大きな自分に自己改革しようという欲求があるのだ。

資格取得を目指しているのもその一表現だろうな。

 

ま、これらの精神的作用も別に他人に迷惑をかけるわけじゃないので勝手にしろ、と自分に言ってやりたい。

多分、自分という人間はこういう人間で、それだけを考えて生きていくのだろう。

あまり褒められた考え方ではないが、このままいってやろうと思う。

自分嫌いなので、自分を好きになろうと頑張るのも結局無理だろう、と思う。

そう開き直れるところも中年の醍醐味かもしれない。

人生の終わりがなんとなくイメージできる位置にきて、不完全な人生で生ききるのもいいと思うし、夢半ばで終わった人もいた。

それも人生である。

 

 

疲れあり

疲れがある。

勉強ができない。

一応、勉強をするために生きている自分としては重大な悩みだ。

何回も書いているが、仕事のウエイトを上げて、勉強のウエイトを減らしている。

そのせいで疲れが出て、勉強ができない。

正直に言うと、今勉強ができないのは別にいい。

困るのは、仕事の疲れがたまっていき、仕事を休む場合だ。

 

何故なら、今後の自分の人生設計で、最重要項目が「スローライフ」、のんびり生きることだ。

そのスローライフを行う上で、最低限の仕事をする。

一日4時間だ。

仕事を休んでしまうとタダでさえ少ない現金収入が少なくなる、という理屈。

その条件を満たしたうえで「勉強」をコツコツやっていきたいのだ。

段々勉強に対する姿勢というか、位置づけが変化している。

資格取得も趣味になっている。

初志貫徹と行きたいが、無理。

 

話は変わるが、若い時と比べ、状況によってすぐ方針を変える。

悪い意味ではない、その分生きやすくなった。

こう見えて、私は躁うつ病を患っている。

税理士資格取得後、会計事務所勤務時代に発病した。

現在は寛解したが、よくなった分生きやすいように考え方を変えた。

主に、「自分は特別な存在ではない」と言う事。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで、ヒーローに憧れ、自分もヒーローになったつもりで生きた。

自己暗示もしていた。(笑)

はじめはヒーローの道を上っているようで楽しかったが、段々ヒーローの真似事が出来なくなってくる。

仕事の営業成績の急落や、自分のヘタレの部分が出てくるなど。

ま、それにしがみついて病気になったのである。

馬鹿だが、まあしょうがない。

今も勝ち組・負け組という二極論で考え、どっぷり負けている点で恥じるが、

その恥は考え方を変えない限り付きまとうんだろう。

資本主義の社会で勝ち負けはある。

自由競争だ。

でも、人生には勝ち負けはないのだ。

オンリーワン。

ナンバーワンとオンリーワンの世界が併存しているから色々迷ってしまう。

福祉的な考え、資本主義的思考はどっちも存在している。

私の場合、現在は福祉的に生きなければいけないのは自明だが、資本主義の世で

結果を残せなかった点が悔やまれる。

 

最近思う事

人生を有意義なものにしたくて、

色々試している。

スローライフを楽しみたくて時間を重要視してるし、

外見上はのんびり生きている。

しかし、内心は「もっと人生を有意義な生き方」はないか?

と考えを張り巡らせている。

これではスローライフという以前に、自分の中の「何か」を変えたくて、

たまたまネットで目にした新概念を試してみてるだけだ。

本当にスローライフに共鳴・共感して始めたのではないと言う事が分かった。

思えば、今年で50歳。

貧乏というわけではないが、お金持ちでもない。

お金は欲しいが、人が寝ている間も働いて、健康を害してまでお金が欲しいわけではない。

と言っても「将来に漠然たる不安がある」。

となれば経費節減の一面を持つスローライフに魅力を感じたのであろう。

つまり、「漠然たる不安」があるため「もっと有意義な人生(生き方)」を模索しているのだ。

 

この考え方はスローライフではない。

第一、「もっと有意義な人生」とは比較対象が存在する。

つまり、人よりいい人生を送りたいのだ。

それもお金の額で優位に立てないので、「生き方」で優位に立とうとする。

これはかなり根性がひん曲がっているだろう。

理想はもっと心穏やかに、他者と比較をしないでマイペースで行くべき。

そうであれば、形ではなくものの考え方を変える努力をしよう。

本当に他者比較をなくすため、瞑想とかを学んでみる。

努力を抑えて

近頃、頑張っているのに成果が出ていない。

骨折り損のくたびれ儲け的な感じである。

それはきつい。

 

原因は何か?

力があちこちに分散していると思う。

自分は物事を始めるにはすぐに躊躇なく始めるが、すぐ続かないというタイプだ。

色々やりすぎている。

社労士・ヨガなど。

なんでもやるというのは、エネルギーを分散させるので一つに絞った方がいいよな。

 

振り返って

今日は電車で10年ほど前に福祉施設で一緒だった人を発見。

彼女も精神的な病気だが、昔より確実に悪化していた。

もはや、昔の面影はない。

 

さて、自分。

今はだいぶ良くなってるが、今も苦しんでる彼女との差は何か?

違いは「運」としか言いようがない。

今までの人生を振り返って、人間は運が一番大事と痛感。

運が人生を左右する。学歴・容姿ではない。

学歴・容姿もある程度運だが。

運により人生を翻弄される。

何をするにも健康、そして運。

 

そんなにコセコセしてたら運が逃げるよ、と自分に言い聞かせる。

 

人生を後悔しないために

こんにちは!

今日は理由もなくやる気に満ちています。

長期の躁うつ病で、人生設計がうまくいかなくなり、最近よくなった私ですがいかんせん出遅れた感が高い。

 

それでスローライフという生き方に憧れていますが、スローライフという生き方をしながらある分野にエネルギーを注入してみようと思っています。

どんな分野になるかわかりませんが、今の自分が興味があることで、

PC関係を勉強してみようかな?

と考えております!

要するに、自分のレベルや器というものを自分で勝手に決めずに、全力で生きていきます。

それで人生の終わりかけた時に自分の器がわかってくると思ったのです。

でも前みたいに無理はしません。

 

今、十分であると思っていることは、今の経験値で思っているだけで、もっと経験を積んだり知識を学んだ後では自分の中でも違う評価になると認識をするべき。と言うことは今「そんなことは絶対無理だ」と思うようなことでも、挑戦すべきなのです。

何事もやってみようではありませんか!

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中年はあきらめが肝心。

こんにちは。

今日は「諦観」について。

 

昨日は成人式でした。

新成人にどんな大人になりたいか?とたずねると「立派な人」と答える。

その通りだろう。

その気持ちはよくわかる。

そりゃ、馬鹿なやつより立派な人に慣れた方がいい。

若いうちは「上」を目指して頑張っていただきたい。

それが社会のためというもの。

 

しかしですな。中年になったらある程度の結果は出てくる。

夢破れたやつもいる。

トップを目指して頑張ってきたがトップに成れない人もいる。

なぜか?

トップは一人しかなれない。社長は一人です。

だから夢破れた人は若い時は頑張ったけどダメだった~とあきらめて次の目標を探したほうがいい。

 

人生いろいろあるねん。

勝ち組・負け組というような二元論では語れない。

中年のあきらめはマイナスの意味でもないと思う。

もちろんあきらめないで死ぬまで頑張るのも素晴らしい!